山と楽人の旅

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zoom RSS 百八十町石<高野山町石道>

<<   作成日時 : 2013/01/16 22:16   >>

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高野七口の表参道から真言密教の聖地を目指す

昨年2012年から世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道めぐりを続けてきました。高野山は2012年5月25日に訪問していますが、今回は山麓の九度山から高野山まで「高野山町石道」を歩いてみることにします。1月13日(日)好天が期待できそうなので、起点の九度山に向かいます

1月13日(日)午前3時26分 門真の自宅を車で出発。一般道路を走行して5時ごろには和歌山県橋本市内まで到達です。コンビニで朝食を摂取して、紀ノ川に架かる九度山橋を渡って対岸の九度山方面へと向かいます。駐車場を探して車でウロウロしていましたが、真田庵前県道沿いの九度山町営駐車場(丹生川)をみつけてココに駐車します。駐車車両はすでに1台です。

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『九度山町営駐車場(丹生川)』
九度山駐車場には公衆バリアフリートイレが整備されています。綺麗な水洗のトイレです。トイレは真田家の六文銭の家紋が目印です。
準備ができたら高野山に向けて出発です。今回はここから慈尊院まで行き、20km以上におよぶコースを約6時間かけて歩いて高野山を目指します。高野山からは公共交通機関を利用して九度山に戻ります。
東の方から次第に空は明るくなりはじめました。入郷の駐車場の横を通り、集落を抜けて行きます。冷え込みが厳しく、長袖アンダーシャツ+長袖ジップシャツ+フリース+レインウエアで防寒して行きます。これ以上寒くなったらダウンジャケットの出番です。


<1月13日の行程>
【高野山町石道】
6:39九度山町営駐車場(丹生川) → 6:54慈尊院 → 7:01丹生官省符神社 → 8:08雨引山分岐 → 8:45六本杉 → 9:06古峠 → 9:16二ツ鳥居 → 9:35神田地蔵堂 → 10:28笠木峠 → 11:09矢立11:17 → 12:47大門13:04 → 13:21壇上伽藍・根本大塔 → 13:31金剛峯寺

【公共交通機関】
14:12千手院橋 → (南海りんかんバス) → 14:24高野山駅14:40 → (ケーブルカー) → 極楽橋14:48 → (南海高野線) → 15:16九度山駅

九度山駅 → 15:27真田庵 → 15:30九度山町営駐車場(丹生川)


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『慈尊院』
15分ほど歩いて慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)に到着しました。世界遺産
弘法大師の母・阿刀氏(玉依御前)が讃岐国から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、高野山は女人禁制となっており、、麓にある政所(寺務所)に滞在。母没後弥勒菩薩を安置して「女人高野」と呼ばれるようになったそうです。
境内の拝堂にお参りして高野山まで無事に歩くことができるよう祈願します。

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『180町石』
慈尊院から丹生官省符神社に向かう石段の途中に最初の180町石があります。高野山に向かって町石の数字は減じて行き、高野山・壇上伽藍手前の柵内にある1町石までを辿ることにしますが、実に長い行程になりそうです
弘法大師のころは木製だった卒塔婆も、後には石造となり現在に伝わっています。

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『丹生官省符神社』
石段を上がり、石造鳥居、朱塗りの鳥居をくぐり、芽の輪を越えて丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社におまいりです。世界遺産
弘法大師が慈尊院を開創した816年(弘仁7年)、その守り神として地元にゆかりのある丹生都比売(にうつひめ)・高野御子の二神を祀った神社だそうです。(現在は七社明神)
本殿は国の重要文化財に指定されています。

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『町営駐車場内公衆トイレ』
丹生官省符神社から町石道を辿ります。駐車場前に公衆トイレがありました。勝利寺という建物はこの付近だそうです。

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『新池橋』
町石道は広域農道を横切って行きます。

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『173町石』
柿畑の中を進みます。柿畑の柿の実はもう旬を過ぎてしまって葉も落ちて寂しい感じです。

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『高野山町石道』
町石道に朝日が映えます。急坂を上がりこのあたりは遠くの山の展望が良いです。

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『高野山』
展望台まで上がってきました。温まってきたので、レインウエア、フリースを脱ぎます。
これから向かう高野山の方の朝日が眩い光を放っています。まだまだ遠い道のりです。

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『岩湧山(左)と三石山(右)』
展望台より。大阪側からみる岩湧山とイメージが違います。

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『金剛山』
展望台より。遠くにいつもの金剛山が見えています。

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展望台から町石道に戻ります。鉄塔の向こうが雨引山でしょうか?コンクリート道から地道に変わり樹林帯に入ると眺望がなくなりました。どれぐらい歩いているか掴みづらく、実際歩く以上に時間が長く感じられます。

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『雨引山分岐』
慈尊院から70分ほどかかりましたが、雨引山分岐まで来ました。ここでゼリー飲料を摂取します。雨引山頂上には時間もかけられないので立ち寄りません。
休憩している間に軽装の若いカップルが先行していかれました。どこまで行かれるのでしょうか?

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『高野山町石道』
私が1町石(約108〜109m)ごとに写真撮影する「各駅停車」ぶりなのでペースが上がらなくて、健脚な若いカップルになかなか追いつけません。
後で確認したら見落とした町石が結構ありました町石の写真はどれも同じように見えて単調に感じてしまいます。今回の記事は180町石を1町石ごとには列挙しませんが、五輪卒塔婆である1町石ひとつひとつに建てた人の祈りがあります。
180町石とは別に約4kmごとに1里石も建てられています。

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『六本杉』
8時45分六本杉に到達。六本杉峠、天野峠ともいうそうです。
若いカップルの方々は世界遺産・丹生都比売(にうつひめ)神社(世界遺産)の方に下っていったようで、この後お会いすることはありませんでした。私たちは町石道を淡々と辿ります。

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『古峠』
9時06分 古峠まで来ました。ここから坂を下ると南海・上古沢駅にエスケープできるようです。山中にありながら、この樹林帯まで南海電鉄が走行する線路の金属音が響いて聴こえてきます。

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『二ツ鳥居』
9時16分 二ツ鳥居まで辿り着きました。819年5月弘法大師により建立されたと伝わり、当時は木製だったとのことです。江戸時代に現在の石造になったそうです。二ツ鳥居の付近に120町石が建っています。
六本杉で町石道から分岐しましたが、丹生都比売(にうつめ)神社からの急な上り坂(八町坂)がここで再び合流するようです。

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『天野の里』
展望台があり、丹生都比売神社のある天野の里を望むことができます。

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『神田応其池』
紀伊高原ゴルフクラブ(カントリークラブ)?のゴルフ場のコースの一部になっています。なんと池には氷が張っています。今朝は冷え込みが激しかったですからね。

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『イノシシ用電気柵』
イノシシ除けの電気柵が設置されていて、トイレに行く際はここを跨がないと行けません。(和歌山県伊都郡かつらぎ町)神田の人里が近いようです。

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『町石道神田便所』
綺麗な水洗トイレが設置してあります。いきなりチェンソーの音が聞こえてビックリしました。付近で作業されているようです。

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『神田地蔵堂』
意外なことに押印帳の押印処がありました。神田(こうだ)地蔵堂は子安地蔵尊を本尊とする地蔵堂。樹林帯の町石道を先へと進みます。

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『笠木峠』
10時28分 笠木峠に到達です。笠木峠からも南海・上古沢駅へとエスケープできるようです。このあたりで86町石。矢立を目指します。
町石道はベラベラしゃべりながら歩くような道では決してありませんが、ひたすら単調な道が続くことからも精神的に疲れて自然と口数が減ってきます。山のまこも黙々と歩いています。

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『矢立』
男性の健脚グループが後方から迫ってきたので先に行っていただきます。
11時09分 矢立までやって来ました。公衆トイレに立ち寄ります。矢立は国道480号と国道370号の合流点で車で高野山まで上がる時に通過する地点でもあります。
ここからは高野山まで2時間で歩きたいと思っていました。道中ほとんど人と出会いませんでしたが、ここからは頻繁に登山者、観光客が目立ちはじめます。
矢立付近には60町石が建てられています。

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『矢立』
矢立茶屋の「やきもち」は花坂名物ですが、立ち寄らなかったのが悔やまれます

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『袈裟掛石』
弘法大師がこの石に袈裟をかけて、この石から先が高野山の清浄結界となっています。

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『押上石』
大師の母が結界を乗り越え入山しようとした時、激しい雷雨に遭遇。弘法大師は大岩を持ち上げて母をかくまったと超人めいたエピソードがあります。この石の下をくぐると長生きすると言われていますが、こんな狭隘なところをくぐることなんでできるのでしょうか?

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『高野山町石道』
金剛山・千早本道でいつもよくお会いするH会長様が以前36〜35町石の区間で蜂に襲われたとおっしゃていましたが、だいたいこのあたりの樹林帯になるようですね。

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『鏡石付近』
鏡石とは鏡のように平らな表面の石だったそうです。どの石が鏡石だったのかよく分かりませんでした。29町石付近まで来ました。
健脚な単独男性が私たちを追い抜いていきますが、私たちも平均時速3km(熊野古道を歩いた時とほぼ同じぐらい)ぐらいのペースで歩いているので無理はしません。さっきから私は右足の甲が浮腫んでいて靴にあたる箇所が痛いのでスピードアップもできませんでした。

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『大門』
12時47分 高野山麓の九度山・慈尊院(GPSログ標高74m)よりだいたい6時間ほどかけて大門(GPSログ標高854m)を登ってきました。標高差800m近くもあり序盤の雨引山分岐ぐらいまでと、後半の矢立からの登りがやや厳しかったです。
大門で持参した洋菓子を摂取して胃袋を満たします。大門前で気温6.5度。じっとしていると冷感を感じるので再びフリース、レインウエアを羽織ります。ここからは登山者というよりも観光客の多い領域になってきます。
大門をくぐったところに6町石がありました。休憩を終えて壇上伽藍に向かいます。

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『1町石』
道路沿いの町石を辿り、壇上伽藍手前の柵内に1町石を確認しました。

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『壇上伽藍・根本大塔』
13時21分 高野山の目標であった壇上伽藍・根本大塔に到着です。ここではご朱印をいただきました。
高野山は寒いですが、積雪が全くなかったのは少々意外でした。

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『金剛峯寺』
予定にはなかった金剛峯寺にも立ち寄りご朱印をいただきます。

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予定していた千手院橋のバスのりばを探してウロウロします。私は足が痛かったのでバスのりばのベンチに座って休憩です。
結局14時12分の南海りんかんバスに乗車して高野山駅に向かいます。千手院橋〜高野山駅運賃280円×2=560円
車窓から「クマ出没注意」の看板に山のまこが反応していましたが、私はそんな看板があったのを見落としていました。

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『高野山駅』
高野山駅で九度山までの切符を購入します。高野山〜極楽橋〜九度山700円×2=1400円
多くの乗客がケーブルカーの乗車を待っています

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『ケーブルカー』
南海鋼索線。急勾配を2両編成の車両が高野山〜極楽橋間を約5分で結びます。

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『天空(左)と特急「こうや」(右)』
極楽橋駅では[14時48分発 快速急行 難波行]に慌ただしく乗り換えです。ホームには[こうや花鉄道「天空」 橋本行]と[特急こうや 難波行]が停車していました。

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『九度山駅』
15時16分 九度山駅まで戻ってきました。
九度山の名の由来は、弘法大師空海がひと月に9度(それだけ頻繁に)は20km以上に及ぶ高野山町石道を下って母を訪ねてきたそうです。
あの高野山町石道を往復していたとは、弘法大師は単なる真言宗の開祖というだけではなく、実に精神的にも強靭でかつ健脚であったのは間違いないでしょう。

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『真田庵』
善名称院(和歌山県伊都郡九度山町)は高野山真言宗の寺院で、別名「真田庵」と呼ばれています。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れた真田昌幸・信繁(幸村)の隠棲時代の屋敷跡。真田父子は、高野山に配流の身となったが、後に九度山に移され蟄居生活を送ったそうです。(妻帯では女人禁制の高野山には入ることができない)

15時30分駐車場に戻り高野山までの周回を終えました。
高野山に至る道は俗に高野七口と呼ばれ、@高野山町石道A高野街道京大阪道B黒河道C大峰道D熊野古道小辺路E相ノ浦道F有田・龍神道の街道があります。「高野山町石道」は、いにしえの参詣道として多くの人々が行き交った時代を経て、現在は整備されたハイキングルートとなっていました。
落雷にも遭遇せず、蜂などの虫の脅威ない厳冬期に高野山町石道を歩くことができてよかったです。

帰路は粉河街道の神通温泉に立ち寄り、上之郷ICより高速道路を経て門真に戻りました。
高野山に行った翌日1月14日、大阪の平野部は雨でしたが、金剛山は一気に雪が積もったようです。
次回の金剛山は今年の元旦に購入したmont−bellのアイゼンの出番があるかも知れません。

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